ら抜き言葉とは

いわゆる「ら抜き言葉」は、「ことばの乱れ」あるいは「ゆれ」として取り上げられる代表的のものの一つです。五段活用の動詞から可能動詞をつくるという現象は明治以降に広まったものですが、これを五段活用以外の動詞にまで類推したものが「ら抜き言葉」であると言われています。「ら抜き言葉」は、国語教育の現場ではいまだに、文法的に正しい表現であると認められるには至っていません。

しかし一方で、これを擁護・推進する意見もあります。その理由のなかで有力であるのが、「ら抜き言葉」のもつ合理性の指摘です。たとえば、次の二つの文章を比べてみましょう。

【A】 社長は、会議に 来られ なかった。

【B】 社長は、会議に 来れ なかった。

助動詞「られる」は、可能のほかに、受け身・尊敬・自発という意味をもつ多義的な語です。ですから、その意味を文脈から推測することができないかぎり、文の意味を確定することができません。

Aの文を見ると、「来られなかった」という文節が、「来ることができなかった」という意味であるのか、それとも、社長に対する敬意を表した意味であるのかが問題となります。しかし、Aの文だけからは、どちらであるかがはっきりしません。このことは、読み手にとっての負担となります。

それに対して、Bの文の「来れなかった」の意味は、「来ることができなかった」であることがはっきりしています。なぜなら、「ら抜き言葉」は可能の意味でしか使用されないからです。

このように、「ら抜き言葉」には、助動詞「られる」のもつさまざまな意味を整理する働きがあることが指摘されています。

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